ターニング・ポイント(その3)

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さて、もう一方のドクター・フィールグッドを聞いたのはそれからずっと後、20歳を過ぎてからのことです。
この頃にはアルバイトで貯めた小金でちょこちょこCDを買うようになっていました。
TMGEとかレッド・ホット・チリ・ペッパーズとかゆらゆら帝国とか、あとジョーストラマー&メスカレロスなんかに出会ったのもこの頃ですね。

当時ドクター・フィールグッドは「TMGE全員が敬愛して已まないバンド」という評価がされるようになってきていてCDが再販されていた時期でした。
TMGEっぽい音なら悪くないね、そういえば昔名前を聞いたよなあなんて思いながら数あるフィールグッドの作品から「DOCTOR'S ORDERS」というのをジャケ買い。

ターニング・ポイント(その3)

見よ、このコテコテのジャケット。笑

さておき家に帰って聞いてみたところ・・・これがドンピシャだったんです。
単純なリフと野太い声でぐいぐい来るかんじ。そうそう、こういうのが聴きたかったのよ!



あとになってわかったことなんですが「DOCTOR'S ORDERS」が出たころのフィールグッドはオリジナル・メンバーがボーカル以外全員脱退してしまって、新たにギター・ベース・ドラムを雇った新生バンドとして復帰してからの一枚目だったのだそうな。
当然ボーカルのリー・ブリロー親分のワンマンバンドと化したわけで、このアルバムを筆頭にこの後の数枚は「暗黒時代」としてファンの間では悪名高いのだとか・・・。

でも、いいものはいいんです。
何百回聴いたかわからないですね。

その後初期ウィルコ・ジョンソン在籍時代の作品と出会い2度目の驚きがあったのは言うまでも無いです。



ドクター・フィールグッドがウクレレ生活に与えた影響はもんのすごく大きいです。
ウクレレ演奏スタイルやライブ・パフォーマンス、曲の構成、そして若さと無縁でダサさ爆発なところ。

3回にわたって音楽遍歴を振り返りました。
思うのは、街にCDを買いにいった10代のあの日のことです。
中古CD屋さんにあったのがドアーズじゃなくてドクター・フィールグッドだったらどうなってたんだろう?

学生時代にバイトして初めて買ったものはオリンパスのデジカメだったけど、もしかしたらテレキャスターだったかもしれない。
中島らもやナンシー関の本ではなくチェスのレコードを買い漁っていたのかもしれない。
となるとウクレレは買ったのかな?「クボタオート」はギターの曲になったのかな?
いや、そもそも「クボタオート」を作ったのかという疑問は、さておき。

なんてことを思うわけです。

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Posted by Maktab. at 2014年01月23日21:12

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